青花はコバルトで藍色の絵を描き透明な釉薬を塗って焼いた磁器で、元明清の時代に発展します。表現力が豊かで景徳鎮を中心に世界各国へと広がりました。日本では染付と呼ばれ有田焼などに見られ日本人にとっても親しみやすい色彩で、もちろん中国茶を飲むのにもうってつけの茶器です。
◆青花磁器について
青花磁器は先にも述べたようにコバルト顔料を使って器に絵を描き、その上から透明な釉薬を塗って1300度ほどの高温で焼成する釉下彩磁器です。
青花磁器の歴史は唐代に遡ると言われますが、この時代の青花として現存するのは70年代、80年代に出土した20余りのかけらのみで、河南省が産地と見られています。コバルトは西アジアからの輸入、胎と呼ばれる器本体はかなり粗いものだったようです。その後しばらく発展することはなく、宋の時代の青花磁器もわずかに10数のかけらが残されているばかりです。
しかし、元の時代になると景徳鎮に皇室用の窯が作られ、ここで初めて白磁や青磁といった単色の磁器から脱却したといえるまでに成熟していきます。明代には底面に款の入った現在の形が多く見られるようになり、また明末には青花といいながら非常にカラフルなものも見られるようになります。そして清の時代、とくに在位期間が長く安定した康熙帝の時代に最高潮を迎えます。
日本はもちろん欧米でも高く評価され、現在でも多くの青花磁器が欧米の美術館や博物館に収蔵されています。
青花の名の由来には次のような伝説もあります。元の時代に花を彫っていた若き工匠の奥さん廖青花が彼に「この磁器の上に絵を描いたらいいと思わない?」と言うと、彼は「ずっとそう思ってるけど良い顔料が見つけられないんだ」と答えます。彼女は鉱石の採掘をしていたおじさんに探すのを頼みますが、とても大変だからと断られます。しかし再三お願いをして一緒に探しに行くことになりました。三ヶ月が過ぎ秋が冬となり心配になった工匠は奥深い山間を探しまわり、山中に青い煙を見つけようやくたどりつくとボロ着をまとって横たわったおじに会いますが、奥さんは山頂近く選んだ石を積み上げた側でなくなっていました。この石を顔料として青花磁器は誕生し、後代の人はこの奥さんの名を紀念して青花磁器と呼んだと。
日本では染付と呼ばれ、初期伊万里など中国は景徳鎮や朝鮮の影響を受けた磁器が17世紀はじめ頃に作られるようになります。
お茶を現在のような乾燥茶葉から抽出して飲むようになるのは明代です。また景徳鎮は龍井の産地である杭州や碧螺春の産地、太湖周辺からも近いので、明清、中華民国の時代には青花の蓋碗をもって緑茶を飲むというのが富裕層を中心としたたしなみになります。この飲み方はとても簡単で、意外に合理的ですので、ぜひ長い芸術と文化の歴史に思いをはせつつ佳いお茶をお楽しみください。